Hajime notes

謎を食べて生きる

──もはや「何」でもない悲しみについて

【以下は、一万字余りの長い文章になっています。元々、以下拙記事のタイトルで書いていたものです。「父の5年忌に際して」(こちらの記事で、以下の主旨については説明しています。)あまり長くなってしまい、消そうかとも思いましたが、先の記事で以下に出てくる言葉を使っていること、また一興もあるかと思い、残しておきます。】

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 今月末で、父が亡くなってから、ちょうど5年が経つことになる。いろんな感慨がある。ちょっと、書いてみたい。

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 少し前に、ブログにアップするつもりで、文章を書いた。「反対の悲しみ」という語がタイトルに入るつもりだった。実家の教会や、あるいはとくに父に対して、悲しみを感じること、その悲しみについて書いたものだった。「反対の」というのは、父が主に「信仰」に対して抱いていた思い(であると私に感じられるもの)と、その結果とが「反対」になってしまっている(と思えるものが私にはあったのだ)ということだった。

 結局アップしないまま、この文章を書いている。

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 父はある意味「一途」な人だった。そのことは、私や、家族にとっては、とくに、「人だすけ」ということで、教会で多くの「住み込みさん」の世話をしていたこと、そのことを通じて感じられるものかもしれない。

 このことを、どう“受け取る”か。ホームレス、や、ヤクザ者、と形容されるような、そうした人々を相手に、「人だすけ」という信仰上の事柄を全うしようと、奮闘すること、そのことに「素晴らしい」という声もあったと思う。

 私は、なぜか、その営みを「問題視」する気持ちの方が大きかった。そして、その「問題」は、「暴力」という点にあるのではないか、と考えたりした。それは例えば、主に子供に対する「体罰」という問題だったり、あるいは、その他の、例えば日常的な言葉遣い等の、関係性に対するものである。(もっと考えていくなら、「関係性」とは、例えば経済的な関係性のことなどは、それなりに“大きな”問題だろう。しかし、私にとって、とりあえず問題として映ったものは、それよりもより“日常的な”関係性についてのことにあるように思えたのだった。)

 「体罰」ということで言えば、私にも父からの体罰の経験があり、そしてその経験は、「心の傷」となっているようなものがあるように思われた。そのことに関して、あるとき大きな気づきが訪れたように思えた(それを母方の祖父に話したことは以前に書いた。当ブログ「祖父たちの思い出」)。それを話したとき、叔父は、信仰や教会運営を受け継ぐということに関する、私にあるであろう「プレッシャー」ということを言っていた。

 (そのときは、その気づきのことを、私の心に起きた出来事として“単純に”取ってもらいたいという気持ちが強く、叔父のその言葉に対しては、否定的に答えたのであったが、)たしかに、将来的なことを考えるときに、教会との関係は、私にとって“無関心”ではいられないものだったのだろう。

 もちろん、そのような“関心”にどのように対処するか、人によって様々でありうるだろう。(当時の)私にとっては、その関心を突き詰めてみようとするときには、一つ、「暴力」という問題に突き当たるように思われたのだった。

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 教会における「暴力」を考えるとき、それは「教育的な」暴力と言えるように思われた。「住み込み」の方たちは、教会において、ある種の「教育」を意義として、そこにいるように思われたから。また、子供に対する「体罰」の問題もしかり。

 「教育的な暴力」が前提とする「教育」の観念、父の抱いていた観念に、どこか偏狭なものがあったのではないか。アップしなかった文章は、そのような趣旨で書いていた。(先に述べた「反対の」とは、つまり、一途な思いからなされたものが、偏狭な観念により、その結果が捻じ曲がってしまうこと、そのようにして最初の思いと結果とが「反対」になってしまうこと、ということであった。)

 ただ、今は、そのような語り方に対して、ちょっと「もういいや」という感じが強い。父のしたことをどう「受け取る」か、父のしたことが「何であったか」、それを「問題視」して、“批判的”に見ること。そのような「批判」は、たしかに、可能だし、然るべき仕方ではそれなりの意義を持つように思う。

 おそらくは、また少し、自分の関心が変わってきているのだと思う。どういう関心かと言ってみれば、おそらくは、「コミットメント」について。


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 「コミットメント」と言ったが、それを「批判」ということと関連づけて言うなら、ひとまずは、コミットメントを共有しつつなされる批判と、そうでない批判、そのような区別が思い浮かぶ

 このようなことが浮かぶのも、ちょうど、ツイッター天理教関係の方々の間で、そのような話題を目にするからでもある。教会制度に対する「批判的」な意見がまま見られ、あるいはまたその「批判」に対する「批判」など。――私は、自身の関心も、そのような「批判」に接続するような何かを感じもする。しかし、私の場合、まず問題なのは、より身近の、より足下の事柄であった、実家の教会、そしてここに書いているような父についてのことであった。「コミットメント」というものを考えるのは、私が、実家の教会、天理教、信仰といったものについて、自分のコミットメントがどこまで及ぶのか、あるいは及ぼすつもりなのか、それを自問するからかもしれない。――

 信仰や教会制度に関する「批判」を考えたとき、そこにおける「コミットメント」の有無において、区別を考えることができるだろう。信仰そのものと、教会運営に携わることとを区別して考えるとして、例えば、信仰について、それを共有するものとしてなされる批判と、そうでない批判との区別。あるいは、教会運営に関してなら、運営に携わるというコミットメントを共有しつつなされる批判と、そうでない批判、という区別。

 「人だすけ」ということにも、同様のことが言えるだろう。そこにある関係性を、ある種の「教育」関係であると考えるとして、その教育関係に携わることは、ある種の責任を伴うものだろう。そのような責任を引き受けること、そのようなコミットメントを、共有するか、否か、ということ。共に責任を担う者としての批判なのか、そうでないのかという区別。

 コミットメントや責任を共有しない批判をなすべきでない、などと、言いたいわけではない。「外的な」批判も、相応の意義を持ち得ると思われる。しかし、やはり、「内的な」ものを優位に考えたくなるかもしれない。(その理由の内実を述べることは、以下で少々試みている。)


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 少し、思考を巡らしてみたい。

 「コミットメントを持つ」あるいはそれを「共有する」とはどういうことだろうか。

 これに関して、信仰と哲学という二つの営みの差異について、何事か言えるように思った。両者は、「何」へのコミットメントを、「どのように」持つか、そのような観点から、述べてみたい。

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 哲学が、哲学である限り持つような、何らかのコミットメントがあるだろうか。何もない、と言ってみたいところだが、おそらく、そうではない。哲学が、「考える」ことであるなら、それは「考える」ことが考えることである限り持たざるを得ないコミットメントを、持たざるを得ない。

 思考や、思考の表現において、「言語」の関わりは、本質的である。そこにまた、「真理」や「意味」(あるいは「論理」)といった概念が、本質的に関わらざるを得ない。

 多くの論議がありうるだろうが、簡単に言ってみれば、例えば、こうだ:思考や、その表現は、真理を目指した(そのことにコミットした)ものであらざるを得ないし、それが何事かを意味するということを目指した(そのことにコミットした)ものであらざるを得ない。(あるいはまた、論理に従うということを目指した(そのことにコミットした)ものであらざるを得ない。)

 しかし、ここにおける「コミットメント」は、通常のそれとは違って、意識的に選択することができるようなものではないと思われる。というのは、それを意識的に選択しないことができないであろうから。選択しないことができないのであれば、選択することもまたできないであろう、というような意味である。およそ営みがある限り無いことが不可能なものとして、それは「コミットメント」とは言っても、その語が通常含意するような「意識的に選択できるもの」ということとは、かなり異なるものとなるだろう。

 このような、コミットメントと言えるかどうか微妙な事柄を除いた上でのことならば、哲学にはいかなる外的に課されるコミットメントもない、とは言えるかもしれない。

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 それに比して、信仰とは、それ自体がある何かへのコミットメントであるような、そうした何かであるように思われる。またそこにはおそらく、選択ないし決断という契機があるだろう。(その選択が通常の「意識的な選択」と同じであるかは、問題にしうるにしても。)

 しかし、信仰のコミットメントは、それが「何」へのコミットメントであるのかということ、それの内容が「何であるか」ということに関して、特殊なものであるのではないか。その「何であるか」について、それを思考すること、それを言葉にして語ること、そのような思考や語りが捉える「何であるか」ということを、究極的には超え得るところにある、そうしたコミットメントではないだろうか。

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 哲学は、思考が、「何」を思考しているのか、その内容が「何であるか」という内容規定性に関わらざるを得ない。もちろん哲学も、その「何であるか」を語り得ないような、そうした「語り得ないもの」へと迫ろうとするだろう。しかし、「何であるか」、そうした内容規定性を、どこまでも引きずっていくだろう。

 信仰も、そうした「何であるか=内容規定性」から、全く離れてしまえば、おそらくは空虚で、信仰自体の自殺行為ともなるだろうが、しかしそこから飛び出る「ジャンプ」の可能性をも、その本質として、色濃く持っているように思われる。

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 信仰は、その本質を、語ることによりも、行うこと、行為に持っている、上の事情をこのように言うことができるかもしれない。逆に哲学は、どこまでも語りから離れることができない(で、おそらくは、どこまでも「行為以前」に留まるかもしれない)。

 このように考えるなら、両者は、或るものの「何であるか=内容規定性」ということを巡って、異なりはする。しかし、違いがそこにおいてあることは、裏を返せば、両者の類似性とも言えるかもしれない。というのは、どちらも、「何であるか=内容規定性」から、完全に離れることはできないが、他の人間的諸活動とはおそらく違って、「何であるか=内容規定性」の〈根幹〉に関わらざるを得ない、というような意味で。

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 そのように考えてみると、この両者のような活動における「批判」の営みを考えるとき、次のようなことが言えるかもしれない。両者が「何であるか=内容規定性」の根幹に関わる営みである限り、両者における批判は、ある出来合いの「真理」や「意味」からのものであることはできない。いやもちろん「できる」のでもあるが、そのような批判は、ある制限されたもの、外的なものに留まらざるを得ない。内的な、「真正の」と言い得べき批判は、そこで従来の営みにおいて謎のままに留まっていたであろう、「何であるか=内容規定性」への洞察を、新たに与えるようなものになるだろう。


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 話を戻そう。父のしたことをどう「受け取る」か、それは「何であったか」、そういう話の流れであった。それは、おそらく「人だすけ」ということであったが、ではその「人だすけ」とはいったい何であったのか。

 「人だすけ」ということを、ごく一般的な仕方で考えるなら、それは他者との倫理的な関係性のことと言えるだろう。

 そのようなことが「信仰」と関わらざるを得ないものかどうか、それは、わからない。しかし、それが、往々にして、あるいは、ときには、そのような「信仰」という領域に関わりを持ち得るものとなる、とは、言えるかもしれない。

 それが「信仰」と関わってあるなら、上で述べたように考えるなら、それは、その「何であるか=内容規定性」に関して、常に未決に留まる、新たな可能性に開かれたものかもしれない。

 父のした、「人だすけ」、それの「何であったか」ということは、それが「信仰」と関わるものであるなら、究極的にはそのような「開かれたもの」としてあるだろう。おそらくは、このように、私は現在考えているのだと思う。

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 「暴力」の問題。それももちろん、上のような関連で考えるなら、「開かれたもの」になるだろう。

 ただ、単にそう言って終わりにしてしまうことは、できないことのように思われる。それが、その「何であるか=内容規定性」に関して、「開かれたもの」であると考えることは、それをそのまま野放しにしてもいいということとは、異なるし、またおそらく異なるべきことだろう。

 それが「何であるか」。信仰というものが常に「開かれたもの」であり続け、その限り、その「何であるか」を規定し得ないとするなら、信仰とは別のものが、その規定可能性を担うことになるだろう。この別のものを、ひとまず、ごく一般的な意味で、「法」と言ってみることができるかもしれない。少し話は逸れることになるが、以下少々敷衍してみたい。

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 暴力は肯定されうるか? あるいは、(教育的な暴力としての)体罰は肯定されうるか? それは「法」の定めるところにより、裁定されることになる。

 おそらく、このときの「法」は、歴史的なものである。そのあり方は、歴史を通じて生成するものであり、歴史を通じて普遍的なわけではない。しかし、このことによって「法」の正当性が損なわれるわけではない。「開かれたもの」であり続けることと、その都度その都度の裁定が可能であることは、異なる。そして、「法」はまた、公共的なものでもあるだろう。「信仰」が究極的には、個人の内面に属すもの、あるいは個人と神との関係性のことであるとすれば、それは「公共性」を裏切る側面を持ちうるのではないか。だから、このような側面においても、「法」は「信仰」とは異なる領域を担うものとして考えることができる。

 (「法」が、それ自体宗教的なものであるのか、非宗教的なもの(世俗的なもの)であるのか、ということは問題にしうるかもしれない。上のことは、そのことに関わりなく言えることであるように考えている。つまり、「法」がそれ自体宗教的なものであれ、非宗教的なものであれ、それは、いまの文脈においては、上で言う「開かれたもの」に留まらざるを得ない「信仰」とは、別の存在であるということ。)


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 「父の5年忌に際して」という割に、散文的?な文章かもしれない。そうではない方面?にも、少し。いや、“も”ではなく、それこそが元の趣旨であるはずのものだったのかもしれないから、それに“立ち戻って”。

 「悲しみ」について。それは「何」の悲しみだったか。

 「反対の悲しみ」というタイトルを含んだ、アップしていない文章では、その悲しみの内容を、思いと結果とが捻じれた「反対」のものになってしまっている悲しみとして書いていた。そこに「暴力」という問題が絡んであるように、思われていた。

 今回、上のように書いてみると、しかし、「悲しみ」は、おそらく、より根源的には、「コミットメント」についてのものである。

 おそらくは、コミットメントを共有しない、共有できないという悲しみ。

 父を、その信仰心を強く取って思い描くことは、父を「信仰者」として思い描くことであり、そのときの父のコミットメントとは「信仰」であるということになるだろう。そう思い描くなら、その「コミットメントを共有しない」こととは、「信仰を共有しない」ことということになる。

 「信仰」と訣別する哀しみ。そのような観念を抱いたこともあったように思う。

 しかし、今は、また違ったふうに考えている。確かに「父の信仰」を共有できない悲しみは、あったかもしれない。しかしそれは「信仰」を共有しないこととは、また別のことである。「父の信仰」と「信仰」とは、重なりこそすれ、同じではないだろうから。

 こう考えてみるなら、より一般的な仕方で言ってみるなら、父との訣別の悲しみは、他者と「信仰」において訣別する悲しみ、その一事例だと言えるだろう。そこにおける訣別は、もちろん、信仰と無信仰における訣別であるかもしれないが、あるいは、あくまでも、信仰内における訣別かもしれない。おそらくは、そのどちらであるのか、それを決することは、「信仰とは何であるか」ということを考えることに不可避に関わることになるだろう。


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 また話は逸れるが、少し違う観点から。言葉の「はばかり」に関すること。(別記事で書いたようなこと。「言葉の「はばかり」について」)

 他者との「別れ」の悲しみ。そのようなケースの単なる一事例と考えれば、あまり“大仰に言い立てるべきでない”事柄のような気もする。このような、ブログに書くなど。

 あるいは、単なる他者に留まらず、親子関係における問題だと考えても、そうだ。「信仰」というものが関わるにしろ、要は、親子間の「自立」の問題だろう? それはあまり“大仰に言い立てたり”しないで、“そっとしておくべきもの”、“秘すべき”ものじゃないか?

 というような、「はばかり」の念、あるいは(どこからでもない)声、を無視しつつ、あるいは抗って、書いている。(いや、正確に言うと、「抗う」必要が出てくるのは、書くことに対してよりはむしろ、書いたものを「公開する」ことについてであるが。)

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 また少し違った仕方で言ってみるなら、そのような「言葉にすること」「語ること」は、ただ粛々と“行うこと”であるべきものかもしれない。つまり、その“地”の語り以外のことを語って、その当の語りについて何らか「正当化」したり、「意義づけ」たりしようとすることなく。

 言い過ぎることを惧れつつ、それでも言ってみるなら、このような“個別的・具体的”なものに言及することが、私には、私の場合には、重要に思えたのだった。事柄に即した部分で。

 ――ここでまた、「私の場合には」ということと、「事柄に即して」ということが、拮抗するだろう。つまり、言い換えるなら、あくまでも主観的個人的な事柄なのか、それとも、客観性ないし公共性のある事柄なのか、ということについて。「信仰」というものは、その“接点”のような部分にあるのではないか、と、私は考えている……。

 言葉にすることの「はばかり」に関することについては、以上にしておこう。


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 いやに長々とした文章になっている。もう少しで終わりにしたい。

 「悲しみ」が何であるのか、それについて、コミットメントを共有しない、共有できない悲しみ、と述べていた。

 親子関係ということを、ごく一般的に考えるなら、それは、そのようなある何らかの「コミットメントを共有する」という観念、さらに言えば幻想、を基にしているような、そういったところから始まる関係である、などとということが言えるかもしれない。

 そのように考えるなら、「自立」とは、そのような、幻想的なコミットメント(の共有)からの自立であるだろう。そこには「別れ」がある。

 哲学について述べた所で、哲学は、言葉を使う限り持たざるを得ないコミットメントと関わらざるを得ない、と書いた。ここにおけるコミットメントは、言葉を使う者が、言葉を使う者である限りで、共有せざるを得ないものだ。親子間の別れというのは、ある意味ではそれより“小さい”ものと考えることができるかもしれない。言葉を使う者となるということは、新たに、他者として出会うということかもしれない。一方での「別れ」は、他方における新たな「出会い」となる。もちろん、その新たな出会いにも「別れ」がないわけではない。その別れとは、一つには、「言葉を使わない者となる」ということであるだろう。「死」とは、その意味での「別れ」のことでもある。しかし、それでも、「死者」がまだ言葉を語るということは、ありうる(ように思われる)。

 「信仰」においては、どうか。それは「死」という「別れ」を越えるものでありうるだろうか。「信仰」においては、「死」は別れではない、それは、大いにありそうなことに思える。死者は言葉を語りうるだろうか。言葉にならざるところに信仰がありうるのであれば、「信仰」においては、言葉に拠らずとも「出会い」がありうることになるだろう。

 コミットメントを持つこと、あるいはそれを共有することにおける、出会いと別れ、ということであった。そこにおける悲しみ、ということであった。

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 ここで「暴力」について、最後にもう一度。「暴力」、それは、コミットメントがあるからこそなされるものでありうるだろう。しかし、それは必ずそのコミットメントがコミットする事柄とは「反対」の効果を生んでしまうものだろうか。そうだとすれば、やはりそれは“悲しい”ものに思える。……しかし、このことはまだ考えていくことになるだろう。(暴力一般に関して言えば、そこでも、コミットメントを共有しない者同士の間の暴力と、共有する者同士の間での暴力を、区別できるだろう。教育的な暴力は、後者の一例であるだろう。両者は、言うなれば、敵対者間の暴力と、仲間内の暴力、と言えるだろう。前者については、この文章では、取り上げられていないだろう。それについて言ってみるなら、ある意味では当たり前かもしれないこととして、人はときに、「敵」同士であらざるを得ない。……これは、どういうことだろうか。……)


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 「悲しみ」。

 それは、「何」についての悲しみであっただろうか。上では、最終的に、コミットメントにおける別れの悲しみだと言った。このようにして、私は、それの「何であるか」を語った。私は、自分の「悲しみ」について、その「何であるか=内容規定性」に即して語った。

 あるいは唐突かもしれないが、次のような疑問が、浮かぶ。――「悲しみ」が何であるかを語った、ではさて、そのことは「本当」のことだったろうか? ……いや、もちろん、嘘を語ったつもりは、あまり……?、ないけれど。

 では、最後に。――「何」についての悲しみでもない、そういう悲しみがあるだろうか。そういうものがありうるとすれば、それは限りなく「透明」な悲しみであると言いうるだろう。

 子供の頃、夜眠るとき、布団の中で、三つの場合があった。一つ、性的な妄想に耽ること、一つ、ただ悲しみに暮れ涙を流すこと、一つ、安らかに眠ること。

 このこと、この三つのことのそれぞれと、そしてこの三つのことがあるということ、どれも興味深いことに思える。

 ただ悲しみ、涙を流すことがあった。それは、何に対する悲しみであったろうか。記憶をたどれば、その、「何」に対するものか、その質的な感じを思い出すことができるような感じはする。しかし、それが「何」についてのものか、その「何」を言葉に表すことは、到底できそうにない、そのような感じもする。

 もし、言うなれば、いわく、存在することそのもの、あるいは、存在そのものに対する悲しみであったろうか。(哲学の師匠である永井先生には、そのエピソードについて「哲学的だね」と言ってもらったことがある。ただし、そのとき、エピソードを語っただけであって、「存在することそのものに対する悲しみ」という言葉を使ったわけではない。)

 「かなしみ」を「愛しみ」と書くこともできる。「何」という内容規定性を超えるとき、「悲しみ」は、もはや、そうした“区別”を超えるような何かであるかもしれない。

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 父について語ること。それは、もう「どこ」にいるわけでもない父に対して語ることでもあるだろう。言葉で語る限り、それは「何か」であらざるを得ないけれど、その「語り」はやはりもはや「何」でもないものに支えられてあるのだ、と、私は考えたくなってしまう。