Hajime notes

謎を食べて生きる

“「システムしかない世界」への抵抗”

テイがガチになる「システムしかない世界」への抵抗http://arabic.kharuuf.net/archives/2216

 

興味深い。「面白い」と感じる。
(ちょうど「ポリコレ(→PC)」に関して、先の記事(「(モラル・)ハラスメントについて」)で一瞬触れたので、それもあって。)
擦り合わせる言葉は、たぶんまだそれほど持ち合わせていないけれど、それでも違和感を言葉にしてみる(そしてこれがひいては「抵抗」の「散種」でもあると思う)なら、ここに「子ども」を対置させてみたい。
「戦い」(「抵抗」かな?)は「遊び」のようにしてなされるべきではないか、という気がするが、どうだろうかなぁ…

 

以下は記事からの抜粋。

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>「PCというのは基本的に『正しい』だからね。これとどう戦うのかというのは、すごく難しい」

>いささかベタですが、ざっくりと「資本主義への抵抗」ということで言うなら、カサブタ的言説一つひとつは、わたしたちの人間性を防衛する方向で働いています。問題は、これが相互に連結されスターリニズム的な大きな物語となり、体制化することです。この体制化というのは、極悪非道な権力者が無茶苦茶をする、ということではなく、人民自ら「システム化したカサブタ」を内面化し、単にカサブタに過ぎなかったものを自然の皮膚であるかのように振る舞いだすことです。つまり「テイ」をガチに受け止めてしまう、ということです。これが正に、現在進行している「世界の左傾化」、スターリニズムディストピアの支配です。

>これは言わば、「隠された意味」を探す神経症から、総ての意味が現前している精神病への転回です。

>システムのない社会というものはありません。(…)しかしシステムしかないなら、それは社会ですらありません。

>ここで投げたいのは「正しいことは正しいのか」という愚問です。

>わたし個人としては、そうした「小さい」外山恒一を愛おしく思うし(声の大きい者にロクな奴はいない、声が大きい時点で例外なくクズなのだ)

>多分、この運動は組織の大規模化ではなく、外山恒一の複数化を志向しなければいけないのでしょう。

>氏が一番力を入れているのは春夏の学生向け合宿であり、運動スタイル自体を「どんどんパクれ」と勧めています。(…)散種されたものが変異し走り出すしかおそらくは方法がないのでしょう。

>叩けば埃が出るくらいで丁度です。むしろ積極的に少し「悪人」でなければなりません。